「ニセモノの良心」というブログを綴っている孝好さんが、ネットの可能性、狭義には「ブログジャーナリズム」とやらを悲観するエントリーを書かれ、その内容に対してメディア業界っぽい人やら既得権益を嫌う人やらで盛り上がっています。孝好さんには個人的にいろいろお世話になっているので、たまには僕も釣られようかな、と思ったのでした。
というのも、孝好さんがブログジャーナリズムとやらに期待されていた3年ほど前、メディア関係者かつブログ書きの方々(の一部)がそれを煽っていることに対して疑問視するエントリーを書いていたからです。影響力はまるでありませんでしたが。
孝好さんのお考えはよく分かるし、おおむね同意です。ただ、視野を広げると別の可能性も見えてきませんか? と思ってこの記事を起こしました。
■やはり“硬派”のジャーナリズムはネットにはつらかった
孝好さんが仰るとおり、ブログジャーナリズムとやらの話題で当時主役級だった方々の現在を見ると、個人レベルでは一定の成功を収めた方はいるものの、ブログというフィールド全体で眺めた場合、成果を上げたとはとても言い難いですね。
ネットでは、既存メディアが発した一次情報をネタに盛り上がったり、あるいは報道内容がよろしくなかった場合に発信元を叩いて吹き上がったりすることは多い。でも、一次情報の発信力をネットが十分に身につけたとは思えない。少なくとも既存メディアが発信する一次情報のうち、“硬派”のものについては。一時的なスマッシュ・ヒットはあるかもしれないけれど、安定供給にはほど遠いでしょう。
だから、“硬派”の一次情報という意味合いでは、孝好さんのエントリーに同意です。守秘義務、金銭的な利得が得にくい、リアルが忙しい、面倒くさいなどなど、いろんな制約から、専門家はなかなかネットに出てきてくれません。たぶん、専門家を見つける作業は、Google先生などが頑張れば解決すると思います。しかし、そもそも専門家がほとんど出てこないのだから、そこを何とかしないといけません。
■“軟派”の情報にも目を向けてみては?
でも一方で、“軟派”の分野だと違うことを主張できるな、と僕は思っています。例えば…続きを読む