模範解答をするなら、ガンジス川と川沿いのガートということになる。ガートとは階段状の堤のこと。日本人がインドと聞いて想起する典型的な1シーンである「沐浴するヒンドゥー教徒」を眺められるところだ。
ところが残念なことに、僕はほとんど印象に残らなかった。様子を眺めようと少しでも立ち止まろうものなら「あなたどこから来た?」、「ボートボート!!」、「私ガイドじゃないよ」(土産物屋の手先だけどな…)といった声が襲いかかってくる。おちおち眺めていられやしない。
■牛・犬・猿が放し飼い■
むしろ印象に残ったのは、牛、犬の群れ、猿の親子といった放し飼いの動物たちと、その排泄物。ちょっと踏んづけたくらいでは恥じらいを感じなくなるほど道にあふれていて、当然臭いが鼻孔に充満しっぱなし。
もう一つ挙げるならやっぱり人だ。コルカタよりも日本人の観光客が多いのだろう。怪しい日本語がかなり発達していた。先に例示した「襲いかかってくる声」もすべて日本語だった。
特に印象に残ったのは午前中から午後2時くらいまでつきまとってくれた兄ちゃんと、7時過ぎに声をかけてきた兄ちゃん。
前者は「私、日本語の勉強しているだけ。ガイド料取らない」と言っていたが、「私、日本人の女性と一緒にお店をやっている、見てくれないか」。ここで半分無視を決め込んだのに、えんえんと付いてくる。途中からは「あなたここ見るといいよ」と半強制的に観光スポットを回らされる羽目に。
外国人向けレストランに緊急避難するまで、2時間あまり付きまとわれた。この間、炎天下だったのに彼は水を一滴も飲んでないし。タフだよなあ。
後者の兄ちゃんには人やリクシャーでごったがえすゴードウリヤー交差点付近で話しかけられた。最初の展開は基本的に同じ。「私、ガイドじゃない。日本語の勉強しているだけね」。しかしこの後は応用が利いていた。
「私、あなたと話すと日本語の勉強になる。私、これからあなたにバラナシの事情をお話しする。だから
モチツモタレツね
」
…いや僕は頼んでないし。全く持って持ちつ持たれつじゃないし(-_-;)
という反論には全く聞く耳を持たない兄ちゃん。「今日(5月1日)は恋の神様クリシュナの祭り。親が結婚相手を決めるのが一般的なインドで、納得できないカップルが駆け落ちするためにバラナシに来ているね」などと延々としゃべり続けていた。
面白いことは面白いよ。でもさ、話しかけられっぱなしのせいで夕食用のレストランの場所が探せなかったじゃないか。とほほー。