2005年04月29日

イラン人いろいろ

タバータバーイー家の中庭【カーシャーン→エスファハン】

フィーン庭園を後にした僕は、カーシャーン市街のタバータバーイー家の邸宅などを見学し、それから夕方になって再びバスに乗り込んだ。エスファハンを目指すためだ。

それにしても今日はいろんなイラン人との出会いがあったものだ。ハッサン氏が言う「イラン人は親切な人半分、嘘つき半分」というのを、身を持って体験した一日だったかもしれない。

「ナンをよこせ」が現れた

まず朝方のテヘランでは、若者にいきなり通せんぼされた。僕が1000リアル(12円くらい)で買ったばかりのナンを、少しよこせというのだ。挨拶も何もないうちから。

少し腹が立った僕は、大きく迂回してバス・ターミナルを目指すことにした。ナンはひとかけらたりともやらない。ケチくさくて大人げなかったかもしれない。でも、見ず知らずの兄ちゃんに前触れなしにいきなり「ナンをよこさないと通さない」という態度を取られたのがむかついたのだ。

次にバス・ターミナル近くの売店。店員の兄ちゃんは水を買った僕に、破れて半分なくなったお釣りを混ぜてよこしてきた。金額は2000リアルとまぁ大したことないのだが、これも突っ返して取り替えさせた。

と、せこい奴が続いたが、バスで隣の席になったアルダビール出身の兄ちゃんはいいやつだった。

ガムをくれるはタクシーを手配してくれるは

彼は僕以上に英語が苦手の様子だったが、身振り手振りと片言でいろいろ僕に教えてくれた。チューインガムも1枚もらってしまった。ありがたやありがたや。お返しするものを何も用意していなかったのはまずかったな。

おまけに彼は、バス・ターミナルで待っていてくれ、「これからどうする? タクシーを使うのか?」と聞いてきた。タクシーのおっちゃんを捕まえておいてまでくれていた。ほんとは乗り合いタクシーにしたかった僕だが、この行為はありがたく受けた。それでフィーン庭園にすぱっと行けたんである。

今度は「金よこせ」が現れた

フィーン庭園でいろんな人にスター扱いしてもらったあと、やってきたのがタバータバーイー家の邸宅。その近所にいたガキ2人はダメな奴だった。こちらを見るなり指をこするお決まりの「金をくれ」ポーズ。モデルにすらなる努力もせずいきなり「金よこせ」などという姿勢を取る奴には僕は冷淡だ。

無視して通り過ぎたら、しばらくして足のすぐ後ろでガシャッと何かが割れた音が。あいつら、陶器の塊か何かを投げつけてた! 本当にダメなガキどもだなぁ全く。

ペルシャ語を教えてもらう

バス・ターミナル行きのタクシーの運転手もイマイチだった。大した距離を乗っていないのに10000リアルも要求してきた。事前に料金を確認しなかった僕も悪いが、いくらなんでも取り過ぎだろう。

暑さに参っているところにこんな連中が続いて閉口したが、バスでは再び救われた。隣にやってきたサデッグ君という兄ちゃんはほんとできた人物だった。おまけに英語が達者。英語からいろいろなペルシャ語を教えてもらってしまった。

「いくら?」→chand e ?
「高いね」→Geroon e !
「ありがとう」→mamnoon.
「僕の名前はたあぼうです」→Esme man Tabo ast.

といった具合に。大変ありがたかった。

結局サデッグ君にはお世話になりっぱなしだった。干しぶどうやウリを食べさせてもらい、さらにエスファハンのバス・ターミナルからホテルまでの乗り合いタクシー代(5000リアルほど)も持ってもらってしまった。

でもさらにびっくりしたのは、タクシーの車内で別れを告げた後だった。

僕がホテルでの交渉を終え、部屋を確保した直後に、別れたはずのサデッグ君が息切らしてホテルの中に入ってきたのだった。

「ちゃんと部屋を確保できた?」

僕ができたと答えると、笑顔になり、握手をしただけでサデッグ君は外に出ていった。この間、お金の要求などは一切なかった。

「親切な人半分、嘘つき半分」よりも親切な人に出会う率は少なかったかもしれない。でも総量でみれば、親切の貯金が大きく上回った一日だったことは間違いない。


posted by たあぼう at 20:00 | デリー 🌁 | Comment(4) | TrackBack(0) | ペルシア(イラン)旅行
この記事へのコメント
やっぱり、10人中10人、悪い人ばかりでもなければよい人ばかりでもないから面白いんですよね、きっと。

ペルシア語はインド・ヨーロッパ語だけれど、アラビア語と似た言葉(単語をつくる元になっている子音の組み合わせが同じことが多い)があるみたいだな、と思いました。

(たとえば、ペルシア語の‘名前’はesmeとありますが、アラビア語はism(イスム)、ペルシア語で‘高い’のgeroonにあたるアラビア語はgaaree(ガーリー)というふうに。)

英語話せる人はどれくらいの割合でしたか?
標識はペルシア語でした?英語もありました?
Posted by Yukiko at 2005年05月17日 23:46
Yukikoさん

さすがYukikoさん。関心を持たれるポイントがすごいです。名前をはじめ、アラビア語に似ていると思うところが少なからずありました。

アッバース朝の影響下にあったことや、ペルシャ語が長く「イスラム圏のラテン語」的な扱い(教養語)を受けていたことで、少なからず影響しあっているのでしょうね。

英語はどうかなぁ。若い世代は思った以上に話せる人が多かった印象を受けました。ダメな人はまったくダメなので、日本人と同じような割合かもしれません。

大都市の道路標識はペルシャ語メインですが、たいてい小さくアルファベットが併記されていました。初めてシリアを訪れた時に比べると混乱が少なかったです。
Posted by たあぼう at 2005年05月18日 13:13
標識に英語の表記、多かったですか。
国の生計を立てるため、観光に力を入れているってことかな...。
Posted by YUKIKO at 2005年05月19日 16:54
観光しやすくしていこうという姿勢はうかがえました。不評だった外国人料金もだいぶ少なくなり。フランス人観光客が特に目立ちました。

あとは根本的なインフラ整備ですかね。有名観光地でも近隣に食事しやすい場所がないことが多かったです。

まあ完全に観光地化した状態に閉口する僕には、現状のほうがいいのですが (^_^;)
Posted by たあぼう at 2005年05月19日 17:33
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