2006年05月06日

インドの旅へようこそ!

タージマハール 齢三十にして、初めてインドの大地に下り立ちました。

 今回の旅行の大きな目的は、有名なタージ・マハールをこの目に焼き付けてくること。この壮大な墓標は、中央アジアのティムール帝国とペルシャのサファヴィー朝の建築様式が融合して完成したもの。シルクロードの名所各地を訪れるのが好きな僕にとって、タージ・マハールはその集大成とも言える存在なのです。

ガンジス川の日の出 とは言え、タージを眺めることが旅のすべてではありません。

 例えばヒンドゥー教最大の聖地バラナシでは、沐浴で有名なガンジス川から昇る太陽を眺めました。




ひょんなことから民家におじゃましたり… ひょんなことから、インド人の民家におじゃまもしました。

 いいことばかりではなく、行く先々で言葉巧みにインド人に騙されもしました。でも時には片言のアラビア語を駆使するなどの「反撃」で、逆にインド人を戸惑わせもしました(笑)



デリーで食べたマトンマサラとナン そしてもちろん、忘れてはならないのが本場のインドカレー。これをお腹に収めてくることも大切な目的でした。

 酷暑の中でのわずか1週間の旅程。慣れないうちに帰らなければならなかったという思いが強いですが、かいつまんで報告させていただきまーす。




【リンク一覧】
■4月29日
(1)最初の難関は空港からの脱出
(2)町そのものが見所−−コルカタ1
(3)寺院で“有り金”の寄付を迫られる−−コルカタ2
(4)おまけ Radhuni Restaurant(インド:コルカタ)

■4月30日
(1)「大宮公園のミュージアム、知ってる?」−−コルカタ3
(2)おまけ Prince Restaurant(インド:コルカタ)
(3)“20世紀のタージ・マハール”にご挨拶−−コルカタ4
(4)おまけ FOOD PLAZA(インド:コルカタ)

■5月1日
(1)客引きが勧める宿の実態はこんなもん−−バラナシ1
(2)モチツモタレツ−−バラナシ2
(3)おまけ GANGA FUJI RESTAURANT(インド:バラナシ)
(4)ガンジス川に抱かれる−−バラナシ3
(5)おまけ SAI KRIPA Guest House(インド:バラナシ)

■5月2日
(1)難敵ラヴィあらわる−−サールナート1
(2)インド人の英語力に疑念を抱く−−サールナート2
(3)ラヴィ、日本のお札をチップに要求−−サールナート3
(4)ラヴィの自宅に連行される−−サールナート4
(5)最後の決戦−−サールナート5
(6)おまけ 店名不明(インド:バラナシ)

■5月3日
(1)牛肉を使わない“ビッグマック”を喰らう−−デリー1
(2)快適さと物足りなさと−−デリー2
(3)おまけ Malhotra Dosa Please(インド:デリー)

■5月4日
(1)いよいよタージ・マハールを目指す−−アグラ1
(2)侘び寂びを知らない子供たちに説教する−−アグラ2
(3)ムガルの隆盛と零落の象徴、タージ・マハール−−アグラ3
(4)私はアラビア語を話す仏教徒のシンガポール人−−アグラ4
(5)おまけ Shankara Vegis(インド:アグラ)

■5月5日
(1)モデルばあちゃん−−デリー3
(2)おまけ Gem(インド:デリー)
(3)さようならインド、またいつか−−デリー4
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2006年05月05日

さようならインド、またいつか−−デリー4

道ばたで買った、へたうまガネーシャのクロス「最終バス、いくらなんでも早すぎるだろう」

午後9時、友人知人やシノギのお仲間向けにおみやげを買い込んだ僕は、コンノート・プレイスの一角からバスに空港へ向かう乗り込んだ。僕のほかには、やはりゴールデン・ウイークを最大限使った日本人旅行者が数人、それに陽気なオランダ人男性ら。そのほとんどが冒頭の言葉を発していた。

というのもオランダ人男性が午前3時台の出発、僕を含むキャセイパシフィック航空利用者は午前7時発なのだ。ところがインフラの整備が素晴らしいインドだけあって、深夜早朝にはリムジンバスなど存在しない。旅行者に不便な場所から発着する一般バスか、今ひとつ信用できない深夜タクシーを利用しない限り、午後9時が最終バスになってしまうのだ。

さらにインドらしく、バスに乗り込んだ後も安心させてくれなかった。途中でいきなり降車を命じられたんである。運転手曰く、「壊れちゃったみたいだから、別のバスにする」…。かれこれ10数回旅行した身だけれど、この手の空港バスを途中で乗り継いだ経験は初めてだ。続きを読む
posted by たあぼう at 21:00 | Comment(7) | TrackBack(0) | インド旅行

モデルばあちゃん−−デリー3

フマユーン廟インド人と丁々発止のやり取りを繰り広げてきた旅もいよいよ終わりが近づいてきた。早朝6時、僕はアグラ鉄道駅からデリーへと戻る列車に乗り込んだ。翌日の朝にはインドを発たなければならない。

行きのSHATABDI EXPRESSとは違う庶民向け列車に乗った。所用時間は倍近くかかり、軽食も出てこない。およそ便利とは言いがたいけれど、これが標準的なインドの鉄道の旅なんだろう。

4時間ほど揺られてデリー市内に戻ってきた。ただし、乗った列車は旅行者が最も利用するであろうニューデリー駅まで行ってくれず、南東部に位置するニザム・ウッディーン駅が終着駅だった。僕はこれを逆用して、ニザム駅から直線距離で1kmほどのフマユーン廟を訪れようと決めていた。フマユーン廟はムガル帝国第2代皇帝の墓。ユネスコが1993年に世界遺産に登録している。

お墓■撮影スポットを提案するばあちゃんに出会う■

サイクル・リクシャーに乗ること数分、フマユーン廟に到着した。入場料5ドルを払い、敷地内に足を踏み入れる。

軽く数百メートル四方はある広大な庭園の中央に、褐色の対称形の建造物がどっしりと構えていた。これが廟か。規模や荘厳さではタージ・マハールにかなわないけれど、雄々しさが全面から伝わってくる。

ドーム内にも入ってみた。中央には大理石のお墓が置かれていた。と、そのそばにインド人のばあちゃんがいた。彼女は手招きし、ドーム内の窓際に行くよう僕を促した。そこまで僕が行くと、「敷地の入口方面の写真を撮影したらどうか?」と、身振り手振りで提案してきたのだった。

言われるままに撮影したら、後でバクシーシ(喜捨)を要求されることは確実だ。でも、僕は妙に気に入ってしまった。「自分がモデルになってやるから撮れ、それからバクシーシくれ」といったよくある傲慢な主張とは違い、「景色を撮れ」というちょっとした工夫を感じたからだ。

そこで僕は、「ばあちゃん、モデルになってくれまいか」と交渉を開始した。代金はポケットに入っていた全額と考えていた。取り出してみると、6ルピーしかない。これは交渉が大変かもしれないな(^_^;)続きを読む
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2006年05月04日

私はアラビア語を話す仏教徒のシンガポール人−−アグラ4

ファテープル・スィークリーのブランド門アグラから、庶民向けのおんぼろバスに揺られること1時間あまり。ファテープル・スィークリーと呼ばれる場所に僕は下り立った。ムガル帝国第3代皇帝アクバル大帝が、後に第4代皇帝ジャハンギールとなる男児を授かったことにあやかって作った都の跡地だそうな。1986年に世界遺産に登録されている。

水不足が原因でわずか14年で打ち捨てられた広大な都。その跡地がほぼ残っていて見ごたえがある…と書きたいのだけど、インドの人々はそんな優雅な観光を許してくれない。

巨大なブランド門をくぐりぬけ、モスク地区に足を踏み入れた途端に「ハロー!! ジャパニ!! フレンド!!」…。案の定、物乞いチルドレンが取り囲んできた。

しかもここでは、ティーンエイジャーも話しかけてきてはいろいろと要求してきた。少し賢くなっている分、タチが悪い。半ば引きずるようにしつつ逃げ回ったため、落ち着いて観光できやしない。

ろくに観光できないまま疲れてしまった僕は、モスク内の一角、聖者サリーム・チシュティー廟の脇に腰を下ろし、水を飲むことくらいしかできなかった。しかし、ここでも好奇心旺盛な子供が二人。「フレンド!! マネー!!」…。あー鬱陶しい。これに対抗するために、僕もあいさつを返すことにした。続きを読む
posted by たあぼう at 14:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | インド旅行

ムガルの隆盛と零落の象徴、タージ・マハール−−アグラ3

タージ・マハール今回のインド観光のハイライトはタージ・マハールをおいてほかにない。最盛期のムガル皇帝が贅の限りを尽くして築き上げた愛妃の廟。その白く輝く対称形の姿を眺めると、すれまくったアグラの人々との戦いなど、しばし忘れてしまう。

5ドル+500ルピー(合計で約1900円)という外国人向け観光料金は不当に高い。でも、行って後悔する人はいないと思う。

絵心がない僕には、タージの美しさを形容するのは難しい。代わりに少し固い内容で、少し違う視点からタージにまつわる話を語ってみたい(自己満足型の文章になるので、普段より少し大きい写真だけごらんになってスルーしていただければ幸いです)。

タージは日本や中国の運命までも大きく変えた

タージ・マハールは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼んで築いた廟だ。完成までに22年、途方もない費用をかけて築かれた57m四方の廟が、その後のムガル帝国、いや日本や中国の運命までも変えたように思う。シャー・ジャハンが、廟の建築にうつつを抜かし、皇帝として大事な作業を一つ怠ったからだ。

怠った作業とは、後継を決めておくこと。自身も父の死後に兄弟と争って帝位を確保した身だから、同じ形態でも構わないと思っていたのかもしれない。しかしこれが、後の帝国に不幸をもたらした。

シャー・ジャハンが後継を定めないまま病に倒れてしまったのだ。この報を聞きつけ、助からないと思いこんだ息子たちが勝手に争いを始めた。勝ち抜いたのはアウラングゼーブ。シャー・ジャハンが「祈る人」とからかったほど敬虔なイスラム教徒だった。

アウラングゼーブは奇跡的に回復した父親を幽閉してしまう。失意のシャー・ジャハンはタージの完成からわずか5年で帝位を失うと、数年して寿命を終える。

馬鹿げた政策を繰り返す「原理主義者」が後継に

アウラングゼーブは今の言葉で言うところの原理主義者だった。異教徒に対して過酷な、そしてインドを支配する立場としてはあまりに馬鹿げた政策を次々と打ち出していく。続きを読む
posted by たあぼう at 10:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | インド旅行

侘び寂びを知らない子供たちに説教する−−アグラ2

アグラ城から眺めるタージ・マハール「いいかおまえら、お客様からお金を頂戴したいならもっと工夫ってやつが必要だ。振る舞いに侘び寂びを感じさせろ。それが無理ならせめて笑いを取る努力を見せるんだ!」

アグラの町中では、至る所でガキど…子供たちがまとわりついてきた。彼らが僕に求めてくることは、シンプルかつワンパターンだ。まずは「金(かね)をくれ」、くれない相手には続けて「チョコレートくれ」である。

物乞い式“起承転結”

要求方法も要求内容と同様にワンパターン。カモとおぼしき外国人観光客を見つけると、集団でワアーッと寄ってくる。客を捕まえるとたいてい以下の順番で言う。

「ハロー!!」
「ジャパニ!!」
「フレンド!!」
「マネー!!」
(その後、ハロー以外の3単語が延々と続く)

最後まで言い終わるのに1分とかからない。「困窮する物乞い」っぽい暗さがなければ、面白みも全くない。こちらからどうやって金を取ろうかという工夫心も感じられない。そんなのが何度も続いたせいで、冒頭の大人げない発言になってしまったのだった。

日本語で言ったから通じるはずはない。ところが「マネー!!」の声が一瞬やんだ。おや?と思ったのも束の間、「フレンド、チョコリ!!」(チョコレート)。…結局これかい(-_-;)

もっとも、子供は親の背中を見て育つもの。大人たちの観光客に対する態度がまたひどいから、しょうがないのかもしれない。続きを読む
posted by たあぼう at 09:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | インド旅行

いよいよタージ・マハールを目指す−−アグラ1

シャタブディ・エクスプレスで出た軽食インドにしては平穏な1日を過ごせた翌朝5時過ぎ、僕は再びニューデリー駅にやってきた。今回の旅行のハイライトであるタージ・マハールを拝むべく、アグラ行きの特急に乗りに来たのだ。

僕が乗った「SHATABDI EXPRESS」は早朝6時発。利便性の高い時間帯と思えないけれど、それでも人気があるらしい。前日の朝8時に僕がチケットを買い求めた際には、「Oh! You are lucky.」と職員に言われた。その時点での最後の1枚だったからだ(後からキャンセルが出る可能性はあると思うけれど)。

いざ乗車すると、なるほど人気の理由がわかってきた。冷房が効くのはもちろん、他の列車と比べて座席が立派なようだ。時刻表もかなり正確で、ニューデリー−アグラ間が2時間弱。これは別の特急よりも2時間ほど早い。この点だけで、他の特急より100ルピー以上高い370ルピーという値段にも納得してしまった。

さらに驚いたのは、軽食とミネラル・ウォーターが付いてきたこと。食事は食パンやスパイシーなポテトの揚げ物が出てきた。バターやジャム、さらに食後の紅茶も付いてくる。乗車している時間帯が朝食時に重なっているから、この軽い心遣い型のサービスが本当に嬉しかった。

フランス人女性旅行者の集団のおしゃべりをBGMに、軽食をありがたくいただき終えると、程なくしてアグラ駅に到着した。あまりに順調すぎて物足りないな。

…などと思っていた僕は幸せでした。

アグラの人々の擦れっぷりは、「僕は今インドの観光地を旅しているんだ」と思い出させるのにあまりに十分すぎる効果があったのだった。(続く)
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2006年05月03日

快適さと物足りなさと−−デリー2

ラール・キラーの柱しつこくつきまとう客引き、リクシャーの渋滞と騒音、あふれんばかりの人々−−。初めてのインド旅行で下り立った街がデリーだとしたら、きっとその光景にカルチャー・ショックを受けるに違いない。

ところがコルカタ、バラナシと歩いてきた僕の印象は全く違うものになった。「おお、意外とまともに観光できる。いい街じゃないの!!」。インドももう5日目、日本人としての「まともな感覚」が狂ってきたのかな。

■「客引きがしつこくない」だけで感動■

でも実際、観光や事務処理がスムーズに進んだと思う。鉄道駅の切符売り場までの道で通せんぼされなかったし、安宿が集まるパハール・ガンジで出会った客引きたちはすべて簡単に振り切れた。バラナシやコルカタで苦労したのが懐かしい。

朽ちかけの建家が頑張るオールド・デリーの街並みは、不潔と思う人がいるかもしれない。でもコルカタの街並みを見た身には「まあ普通だよね」という程度。むやみに話しかけてくるインド人ともほとんど出会わず、ムガル皇帝の居城であるラール・キラー内部はゆったりと見学できた。

あ、複数の客引きに声をかけられるだけで面倒な話だよなあ。それがほんの数日インドにいるだけで、「客引きがしつこくないよ!!」と感動するまでに変わる。謙虚な心を手に入れたければ、インド旅行はおすすめです。

■リクシャーの天敵、地下鉄が中心部まで開通■

実は、観光が割と快調にこなせた要因はもう一つある。オートリクシャーを使わずに、オールド・デリーに出かけられるようになったことだ。市街の中心部に地下鉄が開通したんである。続きを読む
posted by たあぼう at 16:00 | Comment(2) | TrackBack(1) | インド旅行

牛肉を使わない“ビッグマック”を喰らう−−デリー1

マハラジャ・チキン・マックカレーでお腹を満たした僕は、バラナシの鉄道駅に移動した。特急「SHIV GANGA EXPRESS」に乗ってデリーを目指すためだ。

■爆破テロのせい?で違うホームから特急が発車■

例によってオトナの旅と言い訳しつつ、房付き1等寝台に乗り込む。コルカタ−バラナシ間の「AMRITSAR MAIL」よりも車両が豪華だ。観光客が多用する路線だからかな?

でも、浮かれた気分にはなれなかった。3月にこのSHIV GANGA EXPRESSで爆破テロが発生したからだ。特急が本来発車するはずの1番ホームが壊れていて修復中だったのもそのせいだろう。亡くなった20人以上の方の冥福を祈るとともに、自分の身に降りかからないことを密かに祈った。

幸いにも、特急は20分ほど遅れただけでニューデリー駅に無事到着した。あっという間に感じた。テロを怖がっていたくせに、冷房のおかげでさっさと深い眠りに落ちたからだ。あ、おすすめしない宿のせいでほとんど寝ていなかったせいと言い訳しておこう。

ニューデリー駅で翌日のアグラ行きのチケットを購入し、その後は安宿街へ出向いて冷房付きの部屋を確保。さらに両替も済ませた。

事務的な処理を終えると、デリーでやろうと決めていたことを実行に移した。といっても大した話じゃありません。マクドナルドに行ってインド版“ビッグマック”を食べてみようというものだ。続きを読む
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2006年05月02日

最後の決戦−−サールナート5

ラヴィ一家のみなさん、さようならラヴィ時間の10分はずいぶんと長い。12時過ぎに到着したはずなのに、腕時計を見れば今や14時近い。夕方にバラナシを発つ身としては、そろそろホテルに戻らないと不安である。なにせインドという場所は、途中で何が起こるか分からないし、何があっても文句を言えない。

■餞別は山盛りのポテトチップ■

「今日バラナシを出なくちゃならないから、おいとまするよ」と一家に告げる。ラヴィは引き延ばし工作を図ってきた。「あと5分」などと言っては、近所にたむろっている「Best Friend」との接見を繰り返す。その数、10人ではきかない。ずいぶんbestがいるもんだ。

いい加減相手する気がしなくなり、オートリクシャーに座って動かないことにした。ようやくラヴィはあきらめた…かと思ったら、今度はラヴィのお母さんが何か言っている。

「ポテトチップ、良かったら持っていかないかい?」

ということらしい。うぅ、これは断りにくい。さっき、かなり大げさに喜んでみせたからに違いないのだ(いや、本当に美味しかったけど十分に量を堪能したんだよな…)。しばし待って、ありがたく揚げたてを頂戴することに。

その量がまたすごかった。できがよいのだけを選別していたのに、ちょっとした買い物袋くらいの大きさの分量をいただいてしまったんである。こりゃ、晩ご飯はいらないな…。続きを読む
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ラヴィの自宅に連行される−−サールナート4

ラヴィとお姉さんたち、お姉さんの子供どうやらラヴィは僕の要求を全く聞いていないらしかった。

「さて、サールナート見学は終わった。次に俺は俺の家に行って休む

なんで雇い主の意向を無視して、あんたが途中で休むのよ(今になって思えば、僕が「俺は」という意味で把握した「I」は、ラヴィ英語だから「君は」の意味だったのかもしれない。どっちにしろ僕の意向を無視しているのは変わりないけど)。

「時間ないんだけど」と僕が不機嫌そうに言うと、ラヴィは怒り出した。「10分だけだ!!」 あぁ、分かった分かった。行けばいいんだろ。民家をかいま見られる貴重な機会かも、と思い直し、自分を納得させた。

■ラヴィ一家に出迎えられる■

オートリクシャーは幹線を離れ、脇道に入り込んでいった。道々にたたずむ人間やら牛さんたちやらをかわすこと10分あまり、ラヴィの自宅にたどり着いたようだ。

案内されるままに敷地に入る。ラヴィのお母さん、お姉さん二人(ほんとは三人いるそうだけど、一人は結婚した旦那さんの家に行っているとのこと)とお姉さんの息子(とその友達?)が出迎えてくれた。

ラヴィがお母さんたちを相手に誇らしげにしゃべっている。「日本人を連れてきたぞ」とでも語っているんだろうか。こうして10分という最初の約束はあっさりと有名無実のものとなり、一家の歓待を受ける立場になった。続きを読む
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ラヴィ、日本のお札をチップに要求−−サールナート3

サールナートの日本寺(法華宗)ストゥーパ(卒塔婆)の敷地を離れ、インドでは珍しいという日本式のお寺へ移動するためにリクシャーに乗った。だが、ラヴィがまっすぐ行ってくれるはずはない。やはり4人ほどの集団がいるところに途中停車して彼は言った。「This is My Friend.」 複数形がどうのという突っ込みは面倒なので言ってない。

ラヴィはどっかと椅子に腰掛けると、僕にも座るよう指示してきた。指示されたとおり腰掛けると、どこからともなく子供が出現。赤茶けた小さな器――日干し煉瓦か何かの器だろうか――に褐色の液体を入れ、僕を含む集団のところに持ってきた。そう、僕がインドで初めて飲むチャイだ。

ありがたくいただいた。予想したとおり無駄に甘く、乳の香りも強い。日本のインド料理店では味わえないくどさだ。でも、睡眠不足かつ朝食抜きで昼近くまで観光して疲労した体には、このくどさが意外なほど心地よい。勧められるままお代わりもした。

■みやげもの屋より必死に売り込んでくるラヴィ■

ただし、チャイを出してくれたのは相応の下心があるから。ラヴィの「友達」は、シルクなどを扱うみやげもの屋なのだ。

「デリーは物価が高い。ここならシルク製品が200〜300ルピー(約520〜780円)で買えるんだぞ。君の女友達に買ってやれ」

当のみやげもの屋たちよりも、ラヴィが積極的に勧めてくる。もちろん僕は取り合わない。ラヴィは半ば怒った顔になって次の商材を勧めてきた。

「エスカールフはどうだ?」

なんじゃそりゃ? 僕が目を点にして再確認を求めると、ラヴィは「エスカールフったらエスカールフなんだ」と怒り出した。もうこれは想像力をありったけ働かせるしかなさそうだ。

1分ほどの検討した結果、スカーフじゃないかと思い至った。「スカーフ?」と聞くと、うなずく。なんでこっちの発音が通じるのに、あっちの発音はエスカールフなんだろう? 謎は深まるばかりだが、とにかく買わないの一点張りでその場を切り抜けた。あー、ようやく日本寺か…。この間、30分以上が経過していた。続きを読む
posted by たあぼう at 12:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | インド旅行

インド人の英語力に疑念を抱く−−サールナート2

サールナートの卒塔婆イギリスの植民地だった歴史の影響などから、英語はインドの公用語の一つ。だからよく通じる−−

という話を僕は鵜呑みにしていた。ところが、「実はそうでもないのでは?」という疑念が急速に頭にもたげてきた。サールナート行きの途中で運転手になったラヴィの様子を見てからだ。

■「I」は「You」、「This」は「Your」■

ラヴィは根はいいやつらしかった。ところどころで駄菓子を買うために停車はしたけれど、それ以外の時間は運転してくれた。さらに運転中は後部座席の方ばかりを向いて、僕にいろいろなことを一生懸命話しかけてくれた。

ところが残念なことに、話の内容をほとんど理解できなかった。

これは聞き手にも問題がある。あまりの英語力のなさにカナダのカジノのディーラーを怒らせた人間だし、一般に英語が苦手とされるイラン人に「なんでそんな英語力で旅行ができるんだ?」と不思議がられた人間だから。

でも、それを差し引いても彼の英語は難しかったと思う。いろいろ検証した結果、どうやら「I」には「I」と「You」の両方の意味があること、また「This」は「Your」の意味も持つことが分かってきた。ついでに「Potato」が「Aloo」になるなど、時折ヒンディー語?が混じるらしかった。

結局、「俺にはガールフレンドが二人いるんだ」と、照れくさそうにしながら自慢していたこと以外、ほとんど記憶に残らなかった。適当に相づちを打っていたら、彼は調子よく話し続けていた。

■ラヴィ、ガイドに名乗り■

午前10時を少し回ったところで、サールナートの寺院前に到着。30分足らずで付くはずが40分あまりになったけれど、まあいいだろう。入口付近にいる自称ガイドは軽く振りきって、さて気楽に観光しようか…

と思ったら、ラヴィが付いてきた。彼は言う。

「This problem is my problem.」

ガイドがいないんじゃ君は観光しにくいだろう。君の問題は俺の問題だ、俺がガイドしてやると言いたいらしい。いや、別にガイドしてくれなくていいんだけど…と僕が言って、引き下がってくれないのがインド人。「遠慮するな」と言われるだけだった。続きを読む
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難敵ラヴィあらわる−−サールナート1

ガンジス川の上に日が昇っていくおすすめしない宿でも役立つことはある。

・騒音と熱風ばかり吹き付けるエアクール、
・エアクールの稼働さえ止めてしまう度重なる停電、
・自家発電装置のモーターの騒音…

これらの影響でろくに眠れない夜をすごした僕は、朝5時にぱっちりと目を開けていた。おかげでガンジス川に繰り出し、日の出を拝めたんである。

■リクシャーとの交渉のコツは交渉を打ち切ること■

それから2時間後。お釈迦様が最初に説法した地というサールナートに訪れようと思い立った。バラナシからは車で30分ほどの距離だそう。

鉄道駅近くからミニバスが出ているらしい。しかし、遠く離れた我が宿から駅まで出向くのはそれだけで骨が折れる。ここは高く付くけれど、オートリクシャーで行くとしようか。

宿のチェックアウトを済ませていると、宿の職員とおぼしきインド人2人組が声をかけてきた。「これからどこに行くんだ?」と聞かれ、うっかり正直に「サールナート」と答えてしまった。

すると連中は「俺たちのオートリクシャーで行け。インド人プライス(注:もちろん大嘘)にしてやる。400ルピー(約1440円)だ」。こんな感じでレセプションに堂々と居座っているリクシャー運転手は結構いるようなのでご注意を。

「ま、どのみちリクシャー使おうとしていたからいいか」と交渉してみたものの、連中は値下げに応じない。200ルピーも出せば十分のはずなのに。300ルピーでもうなずかないので、交渉を打ち切って外に出た。

するとものの5秒もしないうちに「Wait!」と声がかかってきた。300ルピーで構わないと言う。そりゃそうだよな、300でも明らかに僕は多く出しているはずだから。インドでの料金交渉は、いったん打ち切ってからが勝負かもしれない。続きを読む
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2006年05月01日

ガンジス川に抱かれる−−バラナシ3

ガンジス川対岸四方八方から話しかけられて観光できないバラナシだが、せめてガンジス川とは触れあっておきたい。そう思った僕は、日が沈みつつある18時頃、夕刻に川へ繰り出した。

早速、「カモが到来」とばかりにインド人オヤジが声をかけてきた。交渉下手な僕は術中にはまり、あえなく1時間150ルピー(約390円)という割高料金で乗船する羽目になった。とほほ。

例のごとくジーンズの前ポケットに入れていたお金は160ルピー。オヤジに渡す分を差し引くと10ルピーしか残らない。あいにく財布にも手持ちのルピーを切らしていた。だから後から「ガンジス川にお供えする花を買ってくれ」と求めてきたお婆さんには、10ルピーしか払えなかった。

10ルピーを受け取ったお婆さん、「20ルピーだぁぁ」(ヒンディー語を推測)とわめき出した。僕はお婆さんに「ごめん。手元資金が尽きた。恨むなら先にぼったオヤジを恨んでくれ」と日本語で釈明。するとオヤジは感づいたか、わめき続けるお婆さんに構わず櫂をこぎ出した。ボートはあっという間にお婆さんを置き去りにして川の中央へ。続きを読む
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モチツモタレツ−−バラナシ2

日暮れ時のガートヒンドゥー教最大の聖地バラナシで印象に残るものと言えば何だろう?

模範解答をするなら、ガンジス川と川沿いのガートということになる。ガートとは階段状の堤のこと。日本人がインドと聞いて想起する典型的な1シーンである「沐浴するヒンドゥー教徒」を眺められるところだ。

ところが残念なことに、僕はほとんど印象に残らなかった。様子を眺めようと少しでも立ち止まろうものなら「あなたどこから来た?」、「ボートボート!!」、「私ガイドじゃないよ」(土産物屋の手先だけどな…)といった声が襲いかかってくる。おちおち眺めていられやしない。

放し飼いの牛さん■牛・犬・猿が放し飼い■

むしろ印象に残ったのは、牛、犬の群れ、猿の親子といった放し飼いの動物たちと、その排泄物。ちょっと踏んづけたくらいでは恥じらいを感じなくなるほど道にあふれていて、当然臭いが鼻孔に充満しっぱなし。

もう一つ挙げるならやっぱり人だ。コルカタよりも日本人の観光客が多いのだろう。怪しい日本語がかなり発達していた。先に例示した「襲いかかってくる声」もすべて日本語だった。続きを読む
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客引きが勧める宿の実態はこんなもん−−バラナシ1

バラナシの目抜き通り鉄道は奮発して冷房付き1等に乗車した。4人コンパートメントで、コルカタからバラナシ間は予約手数料込みで1950ルピー(約5100円)。その次に高い冷房付き2等の倍近い料金がかかる。

これだけ高い金を払う人は当然限られる。僕が乗った「AMRITSAR MAIL」号には「冷房付き1等車両」はなくて、冷房付き2等と車両を分け合っていた。またコルカタの鉄道駅から乗車したのは僕のほかに二人だけ。

車両内は今までの旅と様相が一変した。同室のインド人客2人は携帯電話で話していることが多く、僕にやたらと話しかけてはこない。でも「バラナシにいつ到着するのかわからず困っている」と相談したら、到着時にしっかり教えてくれた。洗練されている。

効き過ぎるほどの冷房と相まって、バラナシまでの17時間ほどの移動は快適だった。機嫌が良くなったこともあって、ちょっと冒険してみようかという気分になる。バラナシ駅で待ち構えていた客引きのおっちゃんに勧められるままに、その宿に泊まってみようと思い立ったのだ。続きを読む
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2006年04月30日

“20世紀のタージ・マハール”にご挨拶−−コルカタ4

動物たちがのんびり休んでいるのに…短期旅行者のつらさで、夕方にはコルカタを離れなくてはならない。日中、動物たちがのんびりと休んでいる姿を後目(しりめ)に、僕は市民の憩いの場であるモイダン公園へと足を踏み入れた。

この公園は南北に3km以上にわたり、中心部は幹線道路が縦断するほどの広さを持つ。立ち並ぶ樹木や芝生の緑が美しく、インドであることを忘れてしまいそうなほど。暑ささえ無視すれば。

ヴィクトリア記念堂猛暑にひいひい言いながら敷地内をしばらく歩いていたら、お目当てのヴィクトリア記念堂が見えてきた。その名の通り、初代インド皇帝のヴィクトリア女王を記念した巨大な建造物である。女王が崩じてから4年後の1905年に着工、1921年に完成した。

これを見ておきたかったのは、“20世紀初頭のタージ・マハール”とも言えそうな存在だから。タージ・マハールをまね、ジョードプルの白大理石を取り寄せて作り上げたんである。

20世紀初頭の建造物のため、歴史の重みは感じにくい。それでも壮麗かつ巨大な姿は、熟れきった大英帝国の胆力を十分に思い起こさせてくれた。あ、真面目モードになりすぎかな。続きを読む
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「大宮公園のミュージアム、知ってる?」−−コルカタ3

インド博物館今回の旅で悩まされたことは二つ。一つは暑さ。もう一つは、なれなれしく話しかけてくるインド人だ。コルカタに入って二日目で、もう十分に悩まされた。

「俺が案内してやる」だの、「チャイを飲みに行こう」だの、「日本人と友達になりたいんだ」だのと話しかけてきて、無視しても付きまとってくる。

話しかけられることは嫌いじゃない。むしろ信用できる相手なら話し込みたいくらいなんだけど、他国と比べて信用できる相手かどうかの見極めがすごく難しかった。最後までコツがつかめなかったな。

街ごとに話しかけてくるパターンやその後の展開には少しずつバリエーションがあった。コルカタはたいていこんな感じだった。

■何を答えても付きまとわれ、答えなくても付きまとわれる■

「やあ、フレンド! 君はどこの国の人?」
必ずいきなりフレンド扱いされる。「日本人だと分かっているくせに」という思いは伏せ、日本人だと答えてみよう。

「へえ、日本人なんだ。ネパール人と思ったよ」
確かにネパール人は日本人と割と顔が似ているけど、「インド入りして2日目の不健康に白い顔の相手にそれは無理だろう」と突っ込みたくなる。それでも「そうなんだぁ」と感心したふりをして流す。

「君は旅行者だよね? 実は僕も旅行者なんだ。ムンバイ(ガヤ、バラナシなどバリエーションあり)から夏休みで来ててね。コルカタって物価安くていいよ。さっき美味しいチャイ飲んだのに、たったの4ルピーでびっくりした」
地理不案内者同士という安心感を与えようとしている様子。その割に少し話してみると、コルカタの事情にめちゃめちゃ詳しい。

「僕は日本に行ったことがあってね。千葉や埼玉。日本人のガールフレンドもいるよ。これが彼女の携帯番号。君はいるかい?」
こちらをネパール人と間違えるくせに、東京ではなく千葉や埼玉に訪れたことがある。日本をなかなか研究しているようだ。ただし西日本地域は研究が進んでいないらしく、挙がるのはたいてい広島、長崎だ。続いて、

「これからどこに行くの?」
あなたならどう答えますか?

ちなみに僕は以下のような回答をひと通りしてみた。
(1)観光地の名を挙げる
(2)食事に行くつもり
(3)特に決めていなくて散歩しているだけ続きを読む
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2006年04月29日

寺院で“有り金”の寄付を迫られる−−コルカタ2

午後5時でもまだ43.9度いやぁ、暑いなぁ。

つきまとう客引きを適当にかわし、無視して冷房付きのホテルに到着。チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、僕は颯爽と観光に出かけた…はずだった。

しかし酷暑のコルカタは、観光意欲や注意力を急速に奪っていく。写真のとおり17時ごろでも43.9度という、日本ではなかなか体験しがたい気温だからだ。日中はもっと暑い。しかも、けぐりさんがこのエントリーのコメント欄で教えてくださったように湿気も相応にある(けぐりさんが訪れた6月よりはだいぶマシと思いますが)。

■女神寺院で手招きされるまま儀式に参加する■

そんな注意力が散漫になった状態で訪れたのがカーリー女神寺院。生きている山羊の首をはねて女神に捧げる儀式などで有名である。撮影は禁じられている。

寺院の入口にたどり着くと、一人のインド人に入口で手招きされる。これに付いていくと、さっきのタクシーよりも高い「ガイド料」を請求されそうだなぁと思いつつ、でも何となく付いていってしまった。我ながら騙される典型的な観光客になってしまったなぁ。続きを読む
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町そのものが見所−−コルカタ1

目抜き通りになるとだいぶマシだけど…最寄りの地下鉄駅Dum Dumまでのタクシー・チケットを129ルピー(約330円)で購入し、空港の外に出た。

こちらの姿を見つけたインド人が一人、歩み寄ってくる。僕のチケットに記載されたタクシーの番号を勝手にのぞいてきて、「こっちだ」と手招き。案内したいらしい。付いていくとどんな展開が待ち受けているかは想像が付く。でも方角が正しかったため、結果的に付いていくのと同じことに。

目的のタクシーに到着して僕が乗り込むと、案の定10ルピーを要求された。まあこれくらいは軽いジャブ。こちらも笑顔で意味が分からないフリを続ける。数分後、運転手が“案内人”に「あきらめろよ」といったニュアンスの言葉を投げかけ、車を走らせたことで事なきを得た。

■10分も車に乗れば「The India」を目の当たりに■

車が走り出してから10分もすると、「あぁ、インドに来たんだなぁ」と実感できる光景が目の前に広がる。

例えば道路。自動車やらオートリクシャー(オート三輪車)やら自転車やら歩行者やら牛やら犬やらやらやらやらやら…が道全体に広がっている。交通ルールはあってないような雰囲気だ。あらゆる自動車やリクシャーがクラクションをほぼ鳴らしっ放しにし、少しでも開いたスペースを縫うように進む。

道ばたも壮観だ。普通の家もあるけれど、ところどころバラックと呼んでも差し支えなさそうな崩れかかった家が目に入る。そして人、人、人。とにかく人であふれまくっている。

「コルカタは町そのものが見所」とはうまいこと言うなあ、と一人ごちていたら、「地下鉄駅だよ」と運転手。どうもどうも、タクシーを降りよう。続きを読む
タグ:インド
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最初の難関は空港からの脱出

デリーの国内線空港インドの旅は、道中にいくつもの難題にぶつかる。避けられるものは避け、残りは苦笑いしてやりすごすしかない。難題の手始めは空港。ここから移動するのがいきなり難しい。

■深夜タクシーに乗るなかれ■

というのも、日本発の飛行機はたいていデリーに夜遅く到着するから。例えば僕が搭乗したキャセイパシフィック航空の到着時刻は午前2時30分。もちろん外は真っ暗で、空港近くにホテルはない。公共交通機関もほとんど機能していないため、タクシーを使って町中のホテルを目指したくなる。

ところが困ったことに、タクシー運転手が全く信用できない。ガイドブックなどによると、乗客が外国人であるのをいいことに、悪徳旅行会社に勝手に連れていくことが多発しているそうな(実際、被害に遭った日本人旅行者と帰国前に出会った)。最悪のケースでは殺人事件まで起こっている。

とにかく面倒なことは避けたい。空港に居座って夜を明かす手もあるけれど、今回はオトナの旅(笑) お金で解決しようと出発前から決めていた。続きを読む
posted by たあぼう at 03:30 | Comment(4) | TrackBack(0) | インド旅行

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