齢三十にして、初めてインドの大地に下り立ちました。今回の旅行の大きな目的は、有名なタージ・マハールをこの目に焼き付けてくること。この壮大な墓標は、中央アジアのティムール帝国とペルシャのサファヴィー朝の建築様式が融合して完成したもの。シルクロードの名所各地を訪れるのが好きな僕にとって、タージ・マハールはその集大成とも言える存在なのです。
とは言え、タージを眺めることが旅のすべてではありません。例えばヒンドゥー教最大の聖地バラナシでは、沐浴で有名なガンジス川から昇る太陽を眺めました。
ひょんなことから、インド人の民家におじゃまもしました。いいことばかりではなく、行く先々で言葉巧みにインド人に騙されもしました。でも時には片言のアラビア語を駆使するなどの「反撃」で、逆にインド人を戸惑わせもしました(笑)
そしてもちろん、忘れてはならないのが本場のインドカレー。これをお腹に収めてくることも大切な目的でした。酷暑の中でのわずか1週間の旅程。慣れないうちに帰らなければならなかったという思いが強いですが、かいつまんで報告させていただきまーす。
【リンク一覧】
■4月29日
(1)最初の難関は空港からの脱出
(2)町そのものが見所−−コルカタ1
(3)寺院で“有り金”の寄付を迫られる−−コルカタ2
(4)おまけ Radhuni Restaurant(インド:コルカタ)
■4月30日
(1)「大宮公園のミュージアム、知ってる?」−−コルカタ3
(2)おまけ Prince Restaurant(インド:コルカタ)
(3)“20世紀のタージ・マハール”にご挨拶−−コルカタ4
(4)おまけ FOOD PLAZA(インド:コルカタ)
■5月1日
(1)客引きが勧める宿の実態はこんなもん−−バラナシ1
(2)モチツモタレツ−−バラナシ2
(3)おまけ GANGA FUJI RESTAURANT(インド:バラナシ)
(4)ガンジス川に抱かれる−−バラナシ3
(5)おまけ SAI KRIPA Guest House(インド:バラナシ)
■5月2日
(1)難敵ラヴィあらわる−−サールナート1
(2)インド人の英語力に疑念を抱く−−サールナート2
(3)ラヴィ、日本のお札をチップに要求−−サールナート3
(4)ラヴィの自宅に連行される−−サールナート4
(5)最後の決戦−−サールナート5
(6)おまけ 店名不明(インド:バラナシ)
■5月3日
(1)牛肉を使わない“ビッグマック”を喰らう−−デリー1
(2)快適さと物足りなさと−−デリー2
(3)おまけ Malhotra Dosa Please(インド:デリー)
■5月4日
(1)いよいよタージ・マハールを目指す−−アグラ1
(2)侘び寂びを知らない子供たちに説教する−−アグラ2
(3)ムガルの隆盛と零落の象徴、タージ・マハール−−アグラ3
(4)私はアラビア語を話す仏教徒のシンガポール人−−アグラ4
(5)おまけ Shankara Vegis(インド:アグラ)
■5月5日
(1)モデルばあちゃん−−デリー3
(2)おまけ Gem(インド:デリー)
(3)さようならインド、またいつか−−デリー4
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「最終バス、いくらなんでも早すぎるだろう」
インド人と丁々発止のやり取りを繰り広げてきた旅もいよいよ終わりが近づいてきた。早朝6時、僕はアグラ鉄道駅からデリーへと戻る列車に乗り込んだ。翌日の朝にはインドを発たなければならない。
■撮影スポットを提案するばあちゃんに出会う■
アグラから、庶民向けのおんぼろバスに揺られること1時間あまり。ファテープル・スィークリーと呼ばれる場所に僕は下り立った。ムガル帝国第3代皇帝アクバル大帝が、後に第4代皇帝ジャハンギールとなる男児を授かったことにあやかって作った都の跡地だそうな。1986年に世界遺産に登録されている。
今回のインド観光のハイライトはタージ・マハールをおいてほかにない。最盛期のムガル皇帝が贅の限りを尽くして築き上げた愛妃の廟。その白く輝く対称形の姿を眺めると、すれまくったアグラの人々との戦いなど、しばし忘れてしまう。
「いいかおまえら、お客様からお金を頂戴したいならもっと工夫ってやつが必要だ。振る舞いに侘び寂びを感じさせろ。それが無理ならせめて笑いを取る努力を見せるんだ!」
インドにしては平穏な1日を過ごせた翌朝5時過ぎ、僕は再びニューデリー駅にやってきた。今回の旅行のハイライトであるタージ・マハールを拝むべく、アグラ行きの特急に乗りに来たのだ。
しつこくつきまとう客引き、リクシャーの渋滞と騒音、あふれんばかりの人々−−。初めてのインド旅行で下り立った街がデリーだとしたら、きっとその光景にカルチャー・ショックを受けるに違いない。
カレーでお腹を満たした僕は、バラナシの鉄道駅に移動した。特急「SHIV GANGA EXPRESS」に乗ってデリーを目指すためだ。
どうやらラヴィは僕の要求を全く聞いていないらしかった。
ストゥーパ(卒塔婆)の敷地を離れ、インドでは珍しいという日本式のお寺へ移動するためにリクシャーに乗った。だが、ラヴィがまっすぐ行ってくれるはずはない。やはり4人ほどの集団がいるところに途中停車して彼は言った。「This is My Friend.」 複数形がどうのという突っ込みは面倒なので言ってない。
イギリスの植民地だった歴史の影響などから、英語はインドの公用語の一つ。だからよく通じる−−
おすすめしない宿でも役立つことはある。
四方八方から話しかけられて観光できないバラナシだが、せめてガンジス川とは触れあっておきたい。そう思った僕は、日が沈みつつある18時頃、夕刻に川へ繰り出した。
ヒンドゥー教最大の聖地バラナシで印象に残るものと言えば何だろう?
■牛・犬・猿が放し飼い■
鉄道は奮発して冷房付き1等に乗車した。4人コンパートメントで、コルカタからバラナシ間は予約手数料込みで1950ルピー(約5100円)。その次に高い冷房付き2等の倍近い料金がかかる。
短期旅行者のつらさで、夕方にはコルカタを離れなくてはならない。日中、動物たちがのんびりと休んでいる姿を後目(しりめ)に、僕は市民の憩いの場であるモイダン公園へと足を踏み入れた。
猛暑にひいひい言いながら敷地内をしばらく歩いていたら、お目当てのヴィクトリア記念堂が見えてきた。その名の通り、初代インド皇帝の
今回の旅で悩まされたことは二つ。一つは暑さ。もう一つは、なれなれしく話しかけてくるインド人だ。コルカタに入って二日目で、もう十分に悩まされた。
いやぁ、暑いなぁ。
最寄りの地下鉄駅Dum Dumまでのタクシー・チケットを129ルピー(約330円)で購入し、空港の外に出た。
インドの旅は、道中にいくつもの難題にぶつかる。避けられるものは避け、残りは苦笑いしてやりすごすしかない。難題の手始めは空港。ここから移動するのがいきなり難しい。
